007 / 平林明日樹/平林康基
株式会社TOE 代表取締役/有限会社共育舎 経営企画室室長
プロフィール
- 平林明日樹
- 2009年
- 早稲田大学人間科学部(神経内分泌)卒業
- 2010年
- 有限会社共育舎 入社(大学受験部責任者)
- 2015年
- 愛知県知事認可 愛知県私塾協同組合 理事就任
- 2016年
- 個人事業主として独立
- 2019年
- 有限会社共育舎取締役就任,株式会社TOEに法人成り
- 平林康基
- 2015年
- 慶應義塾大学法学部(公共経済学)卒業
- 総合系コンサルティングファームへ入社
- 社長直轄のプロジェクトを担当
- 社内若手コンサルタントオーディション優勝
- 2016年
- コンサルタントとして独立
- 有限会社共育舎に参画
- 人材採用会社(採用立ち上げ)に参画
- 2019年
- 株式会社TOEに参画
100年続く総合学習塾
ビジネスという枠組みの中で行う人間教育
活動概要
100年続く学習塾、塾レッツを運営。勉強することを通じて、「早く正しく問題解決をするチカラ」、「前向きにやり抜くチカラ」、「周りに愛されるチカラ」を育んでいる。また自身が代表取締役務める株式会社TOEでは「科学的な手法を用い、失われた自信をとりもどし、挑戦をわすれない人材を輩出する」を経営理念に武田塾を運営。理念と経営の両輪を回そうと9教場を運営している。
Q1「現在どのような活動を行っていますか?」
100年続く学習塾レッツというものを運営させていただいています。 知多半島を中心に三河っていう地域と、あと今は京都ですね。法人としては2つありまして、有限会社共育舎という父の会社と、自身が代表取締役を務める株式会社TOEという2つを運営しております。
100年前の塾とはどのようなものだったのですか?
最初は、そろばん塾からスタートしているんですね。まぁこれはちょっと言っていいのかわからないんですけども、もともと教育者じゃないんですね、うちの家っていうのは。その時にビジネスとして、これから来そうだというのがそろばんとパチンコだったんです。そろばんの方がいいらしいという形で始めていったら、いやこれおもしろいぞという話になりまして。ここから近くにいらっしゃった大学の先生と改良型珠算っていう今のそろばんの形ですね。上に玉が1個あって下に4つあるっていうのを、うちのひいおじいちゃんと孫太郎先生が開発して、そろばんを広めていったっていうのがあるんですね。もともとは教育畑とかではなくて、儲かりそうだから始めた。時代も時代で、いろんな就職試験に対して珠算〇級っていうのが、今でいうTOEICみたいな形で必要だったんですよね。社会人が学校を卒業して就職するまでの間に取ったりとか、入った後の昇進で使うっていう形で。習い事としてそろばんが来るのはもうちょっと後なんですよ。今でいう英会話教室みたいな感じですね。
そのころの塾と今運営される塾とのつながり(変遷)は?
大正時代から珠算っていうのを社会人向けにやっていたんですね。じゃあ、早いうちからそろばんをやった方がいいんじゃないかという風になりまして、そろばんの低学年化が進んでいくんですね。高校生→中学生→小学生っていう形になっていきます。その後に、初代から2代目に変わるんですけれど、2代目はそういったそろばんだけではなくて、漢詩とかお花とかお茶とかの芸事も一緒に入れてカルチャーセンター※1みたいな形にしていったんですよね。3代目、うちの父になるんですけれども、うちの父はそこを勉強、学習に特化させて進化させてきた。あとはソフトウェア開発ですね、今でいうSEじゃないですけど、プログラマーですかね。学習にまつわるもの、勉強にまつわる事に特化してきたっていう時代があります。それで、その形のまま進化してきていて、今、総合学習塾という形になっているといった変遷でございます
TOEという社名の由来は?
進化論 ※2という意味でやらせていただいてます。もともと僕はやりたいことをやっていくという形の経営をしていたんですけれども、それで結果が出なかったんですね。そういうときに、ビジネスという枠組みの中で、自分らしさを表現するっていう風に考え方を変えた瞬間がありまして、そこから、自分の結果が出始めたっていうのがあったので。そういった意味で、環境に適応していく、自分が変わっていく、最後に何が起きても会社は残していこうという思いで、TOEとTheory Of Evolutionという風につけさせていただいたという感じです。
ビジネスという枠組みの中で自分らしさを表現するとは?
かねてから問題意識があるのが、教育現場において、例えば、数学の担当の先生が、数学の知識とか公式の運用のみを教えてるっていうのがちょっとあんまり好きじゃないタイプで。じゃあ、数学を通じて何を鍛えるのかっていうところですね。それって多分人間教育になってくると思うんです。教科指導=教育では多分なくて、人間をどう育てていくかっていうところだと僕は思っているんです。もともと僕はそっち向きの事をしていたんですけど、それが中々社会から理解されないっていうのがあって。要するにどういう事かっていうと、その金額を払って受けるサービスではないよねっていう評価になる訳ですね。お客さんが集まらないとか、売上が上がらないってことになってしまう。となってくると、じゃあまずは大学合格とか、目標達成のプロセスというか、そういった結果にこだわっていきましょうと。そういうものを出しながら、その中で人間教育っていうのをしていこうと。人間教育が先、後が結果じゃなくて、結果からの人間教育っていう風にしていこうとなったんですね。なので、まず成立するビジネスモデルを作ってから、その中で自分たちの色を付けていく。そのビジネスっていう枠ですね。収益性が取れるとか、潰れないっていう枠の中で自分らしさをこう出していく。武田塾 ※3もやらせていただいてるんですけれども、武田塾もその考え方で、武田塾っていう枠の中で、枠から出ないように、且つ、他の校舎に比べて人間教育をちゃんとやりましょうっていう校舎運営をさせていただいているつもりです。
Q2「あなたが考える、現在の教育業界が抱える課題や問題点は?」
進路指導というのが、ちょっと時代遅れになっているんじゃないかなっていう風に思っています。かつて、大きな物語の時代っていわれている時代があって、ちょっと嚙み砕いて言うと、その時代を象徴するスローガンみたいなものがあったと思うんですね。例えば、富国強兵とか鬼畜米英とか経済大国ニッポンとか、所得倍増計画とか。そういった時代を象徴するスローガンっていうのがあったと思うんですけど、今の時代って、その時代を象徴するスローガン、みんながそれを信じてたら幸せになれる物語っていうのが多分ないんですよね。そうではなくて、一人ひとりの小さな物語を応援する時代になっていくと私は感じているんですね。ってなったときに、以前のように良い学校に行って、良い会社に行ったら、良い人生が待っているっていう、この大きな物語が崩壊しているのにも関わらず、とりあえず良いところに行こうみたいな、そういう方針みたいなものが多分あると思ってるんですね。
じゃあなんでそれが起きるかっていうと、進路指導の立場にある者が今の社会情勢がわかっていなかったりだとか、キャリアパスですよね。そういうものに対してちょっと不勉強だったりとかっていう、そこが十分に担保されてないところがあると思ってます。例えば、高校生の子が「30歳で年収1000万円稼ぎたいんですけど、先生どうしたらいいですか?」「とりあえず、地方の国公立に行けよ」みたいな。そうはならんやろ。そうはならないんだわ。みたいなのがちょこちょこあるんですよね。何が何でも国公立みたいな。でも知れてますよ、そっから先みたいなのもちょっとあるので。それに対してやっぱり僕らも勉強しなきゃいけないですし、一人ひとりの先生の意識のレベルの向上では難しいと思うんですよね。だからそれを仕組み化してキャリア教育 ※4であったりとかで落とし込んでいく必要があるんじゃないかなっていう風には考えています。
仕組みの中で進路指導は先生が行うのですか?
おそらくコーディネーター ※5としての役割を担っていくのが正解だと思うんですね。変な話、僕就職活動してますし、大企業も務めて一般企業にも務めて、自分で独立もしてるんで、他の方よりは経験とかがあるとは思うんですけど、お医者さんじゃないですし、弁護士でもないんですよね。だからすべてを網羅するっていうのは不可能なんですよ。ただ、それをやっている人は絶対にいるじゃないですか。だから先生はそのHUBになって、こういうことがしたいよっていう学生とか生徒さんに対して、生徒さんを集めて話を聞きに行ったりとか。先生はその人脈とか、リソースっていうのかな、本で仕入れた情報とか、自分の周りの友人っていうのを増やしていって、もしくはそういうセンターみたいなものを作ってコーディネートしていく。それはYoutuberでもいいと思いますし、ダンス講師でもいいと思いますし、なりたいっていったものに対して、実際はこうなんだぜみたいなのが振れる。どれだけそのストックを持っているかっていうのが、教師というよりも進路指導にあたる先生にはあってほしいなとは思いますね。そういう役割に変わっていくべきだとも思います。
周りにいる大人によって結果が得にくいというようなことはないのですか?
そうですね、これ難しいですよね。塾業界も一緒で、指導した事が家庭でしんじゃう可能性があるんですよね。ここで挨拶とか、靴をいれるとか、ドアを閉めるとか、椅子をいれるとかっていうのを指導しても、家がそうなってないと、1週間後にまたやり直しなんですよね。身近なおとなの影響力ってすごく大きいんですよね。でもそこに踏み込むと、やっぱり親が込みでの話になってきちゃって、やっぱり親御さんには親御さんの価値観があって、まぁ特にお父様方にはプライドとかもありますし「うちの教育方針がこうなんだ」みたいな。まぁそれがどうなのかは置いておいてですよ、そういうのもあるんですよね。僕らが正しいとも思ってないんですけれども。そこに対して決定的なものってやっぱり難しいとは思いますね。秘策があればいいんですけどね。やっぱり身近な大人の価値観で狭まるっていうのは避けて通れないので。でもそこ(差が)広がっていきますね多分。そこで上に行く人と留まっちゃう人は間違いなく(いる)。ある意味情報格差であり、教育格差よりひょっとしたら根が深いかもしれないですね。これはどうなんだろう?どうやったら解決できるんだろうね。
康基氏:中学生・小学生は少なくとも難しくて、高校生は自分で考えられる子、つまり、自分の価値観ができ始めているので、親とか担任とかが言ったことに対して違和感が持てるようになってくる子が多くなってくるかなと思うんで、そこに対して僕たちの価値観っていうのを伝えて、それが正しいと思ってくれる、もしくは筋が良さそうだっていう風に思ってくれれば、そこは受け入れてくれるので。年齢が上がれば上がるほど、身近な人の、距離的に近い大人の人の影響力っていうのは小さくなるっていうか分散されていく様なイメージがあるので、僕はただ伝えてあげる、真実というか事実を伝えてあげる。例えば、地方の国公立に行った後でどんな人生が待っているのかっていうのは、フラットに伝えてあげる。それが良いのか、そうじゃないのか。じゃあ、そうじゃなくて、地方国公立じゃないんだったら、どういう風な行動を取れば周りの先生とか親御さんを納得できるか考えてみてねっていうことを言っています。そこで変われる子というか、ひたむきに自分の努力っていうのを大人に見せれる。そうすると、結構親御さんや担任の先生も「そこまで言うんだったら」っていう方もいらっしゃるので。僕のスタイルとしては、正しくその子に響くように伝えてあげて、その子が行動を変えるのを待つ。その行動が変わった結果、やっぱり難しいってときもあるんですけども、ただその行動は無駄じゃないっていうこともその子に伝えてあげれば、どっかでいい事が起きるんじゃないかな。その大学進学じゃなくて、その先ですよね、その先にもいい事起きるかなっていう風に思うので。僕はそれを伝えるっていうことをしてますね。
明日樹氏:僕もちょっと彼に似ているんですけど、僕のスタンスとしてそもそも正解がわからないっていうのがちょっとあるんですよ。今この時代はよくても、今勝てる人材は狩猟時代は多分勝てなかったと思うんですよね。狩猟時代にぱっとしなかった人たちが今この時代で生きているっていうのがあると思っていて。ってなってくると、何が正解かわからないんですけど、正解は多分本人に決めてもらうしかなくて。その為の刺激、刺激っていうと敢えて煽るような感じに聞こえるとちょっと違うので、彼の言葉を借りるとフラットな状態ですね、事実を伝えていく。こういう視点もあるんだぜっていうので、考えさせて、それで自分で答えを出す。それが正解か不正解かっていうのは、後で答え合わせするだけだと思うので。その人もわからないので。だから僕らは刺激を与え続けることだけしか多分できないですね。
高校・大学や偏差値などの意義はどのように変わっていくと思いますか?
1つの指標だと思ってるんですよね。偏差値っておもしろくて、40台、50台、60台、70台でまったく人種が違うっていうと嫌な言い方ですけれども、考え方が違う。40台の人って、これは勉強に限った話ですけど、やっぱり毎日努力するっていうことが難しい、取り組むことが難しい層なんですよね。50台は、いわゆる日東駒専、産近甲龍、愛愛名中とかいわれるんですけど、偏差値50ぐらいの大学に進学するよって子たちは、とりあえず毎日は出来るんですね。偏差値60とかになってくると、自分の問題点を自分で発見できる。ほっといても成長するような子たちが結構多いなっていう風に思ってるんですね。偏差値70とかになってくると、偏差値60と70の能力差ってそんなにないって思っていて、ただ、70の人は結構幼少期からやってるんですよね。図鑑読んだりとか、自分で考えて行動するとか、とりあえず気になったものは全部調べるとか、結構生き方・姿勢になっちゃうんですよね。だから60・70の地頭っていうのは、僕はあんまり変わらないかなっていう感じはありますね。
結局その40か50か60かみたいな話っていうのは、ある目標を決めたときに、少なくとも努力した経験があるんじゃないかぐらいの指標だと思ってるんですよね。それを企業が尺度に使うっていうのはわかるのと思うんです。けど、それが結構呪いになっていて、教育=勉強を教える事みたいな呪いにかかっていると思うんですね、教育業界っていうのは。僕はたまたま勉強が得意なんで塾やってますけど、それが別に野球でもよかった訳ですし、ダンスでもよかった訳なんですよね。なんでもよかったんですよね。本来教育ってこうあるべきなんですけど。受験っていうのは一番簡単に言うと、所得に変わりやすいので、学歴が。だから、所得をメインに考えてるっていう物語の中で生きていくのであれば、学歴っていうのはこれから幅を利かせていくと思いますし、食っていければいいや、周りの人だけ幸せにしていけばいいよねって価値観の中では、学歴っていうのは価値が失われていくんじゃないかなという気がします。
Q3「将来、日本の教育はどうなる(べきだ)と思いますか?」
一人ひとりの幸せっていうものを応援できる体制っていうものを整えていくべきだという風に思っています。勉強が得意な人もいますし、発達特性といって、勉強に対してちょっと苦手だっていう方もいらっしゃると思うんですよね。そういった子たちに対して、「勉強だけじゃないよ、教育っていうのは。今は勉強を通じて教育はしているけども、それは何でもいいんだよ。」って言い切る先生の存在が多分必要だなっていう風に思っているんですね。その中でまず先生の役割っていうのは進路だと僕は思っていて、進路に対して多様な選択肢、「こんなんもあるぞ。」っていう風にして提示できるっていうのが1つ大事かなと思っています。また、それだけじゃなくて、そこに行くためのリソース、人だったりとか、方法ですよね。というのを知っていくっていうチカラがどうしても必要なんじゃないかなと。こうなら、こういう人と会った方がいいよってコーディネートできるように先生の役割が変わっていくっていうところがやっぱり必要だとは思っていますね。
多様性の中で一人ひとりを適切に評価するのは難しくないですか?
評価が結構難しいとは思っているんですけれども、多分そういうのってテストでは測れないと思っていて、テストの順位とかとはまた違う評価軸かなっていう気はしているんですね。実は今、文部科学省も私が言ったような教育をしてねっていう風には言っているんですね。(大学入試では)2020年度から、昔AO入試って言われていたものが、総合型選抜っていう風に名前が変わって、そこでは3つの要素を持っている人がこれから伸びるからこういう人を大学はとってねって言ってるんですけど。「主体性」と「多様性」と「協同性」っていう3つがありまして、「主体性」というのは自分の人生の主人公は自分だっていう意識ですね。「多様性」っていうのは、「あ、そうなんだ。そういう考え方もあるんだ」って受け入れるチカラですね。「協同性」っていうのは、そういった違う価値観の人たちとも、「あなたの強みはこれ」「私の強みはこれ」「私の弱みはこれ」だからあなたの長所で私の短所を補ってくださいって、一緒にプロジェクトをまわしていくという形。だから、文科省の考え方自体はそっちになっているんですね。人間性の教育になっているんですけれども、学校現場というか大学側、大学選抜ではちょっとまだそれが追いついてないっていう現状があって。それが変わってきたら、それもまた違う、まぁ今ちょうど移行期なので、それが完了すれば自然とそうなっていくんじゃないかなという気はしています。
先生に対する評価も含めて、定量的 ※6に測れる評価制度はあり得ると思いますか?
康基氏:まず、進路指導については人じゃ難しいので、プラットフォームが必要かなという風に思います。そこに、その子のポートフォリオ ※7みたいなのを、ずっと小学生のときからタブレットじゃないですけれども、日記でもなんでもいいと思うんですけど、日記とか学校の成績とか、運動の成績とか、どんどんその子の情報をためていくようなものっていうのがあって、その子が何が興味あるのかを選択すると、それに似た人とか、その道の人っていうのが、あなたの人生の生き方だったらこういう例がありますよっていうようなものが示されるような、そういうプラットフォームみたいなものがあったらいいなっていうのが1つあります。それはAIが発達してきているので、大量の情報を分析できると思うので、無理ではないと思います。その上で、選抜の時の定量化って半分必要だけど半分必要じゃないなって思うのは、勉強が得意な人は成績で大学に入ればいいと思うんです。けど、勉強が得意じゃないけど、生き方というか、さっきの主体性とかっていう所はポートフォリオ見ればこの子は何やってきたかっていうのがわかると思うんですね。それで、それをある程度定量化すればいいと思うんです。こんなことが出来てたら何点みたいな。ただ、それはどっちかっていうと足切りみたいに使って、あとは大学の先生が面接とか、もしくは大学の先生じゃないかもしれないです。受け答えするAIかもしれないですけども、そのAIもしくは先生と受け答えをして、足切りである程度能力というか価値観が合った人っていうのをある程度集めて、そこから人とかAIが選んでいくみたいな。そういう定量化と、あとは面接っていう定性的なものの2つでやれば不可能ではないのかなとは思いますね。
明日樹氏:今の中京大学のスポーツ推薦がそういう形をとっていますね。各大会の順位の一覧表があって、この大会で何位だと何点っていうような、それが今は足切りのような感じで使われて。いろいろ積み重ねてこの点数以下だと、出願できますけどまぁ受かんないよねみたいなというところと、学力試験を必ず課さなきゃいけないっていう風に方針が出ているので、新聞の記事を見てレポートを書かせるとか、そこで思考力みます。で、やっぱりこの3つの要素っていうのは定性的になっちゃうんじゃないですかね。やっぱり今の小論文とかも攻略され始めている訳じゃないですか。構成力だとか、論理力だとか、こう書いたら受かるみたいなものとかって、それってほんとに頭使ってねぇじゃんって話もありながら。今の知見する一番近いもので多分、小論文だと思うんですけども、それですら攻略の対象になっている現状がちょっとあったりとかして、絶対追いつかれますよね、定量化したら。判断基準があればいい訳ですから、判断基準が露見した瞬間に、それにみんなが合わせにいきますよね。コスパ良くなりますもんね。選抜する人も神様じゃないので、やっぱりこいつ良い奴かダメな奴かしかないです。一緒に働きたいかとか、一緒に研究したいかとか、一緒に仲間として迎え入れたいかどうかっていうところですよね。この3つの評価軸、面接の評価軸が3つ加わったぐらいのイメージかなと。
SQ「何年先に行ってみたいですか?」
明日樹氏:何年先かぁ…僕は50年ぐらい先ですかね。政府の公文書の保存期間。あのとき、実はこういう裏話があったよみたいな。リアルタイムで今わかるかなと思うので。あんま先の事は多分、僕死んだ後はよくわかんないんで。100年ぐらいかな?そう考えると。機密文書が読みたいです。
康基氏:僕は、20年か30年後ですかね。自分の仮説が正しいかどうか見たいですね。今すごい勢いで社会が変化していて、なんか20,30年後には家電製品とかも無料になってるんじゃないかなっていう風に思うんですね。ほんとにそういう世界になっているのかどうか。ほんとに今言われているほど、社会の変化が速いんだったら、今自分がやっている教育って、合ってるなっていう風に思うんで。社会のスピードがほんとに加速していくのかどうかっていうのを自分の目で見に行けたらいいなって思いますね。
追加資料
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」平林明日樹
※1 カルチャーセンター
社会人のための社会教育の機会を提供する民間の教養講座である。カルチャースクール、文化教室(ぶんかきょうしつ)とも呼ばれる。1980年代以降に一般的な呼称として定着していった。大学が行う場合はオープンカレッジと呼ぶ場合もある。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/
※2 進化論
生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え。ラマルクの用不用説、ダーウィンの自然選択説、ド=フリースの突然変異説などがある。
出典:『goo辞書』https://dictionary.goo.ne.jp/word/
※3 武田塾
「日本初、授業をしない塾」として、全国300校以上、開校している大学受験の学習塾
出典:『武田塾チャンネル』https://www.youtube.com/c/takedajuku/about
※4 キャリア教育
個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における
自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」出典:文部科学省『小学校・中学校・高等学校:キャリア教育推進の手引-児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てるために-』3頁 https://www.nier.go.jp/shido/centerhp/20kyariasiryou/20kyariasiryou.hp/3-05.pdf
※5 コーディネーター
いろいろな要素を統合したり調整したりして、一つにまとめ上げる係。また、そういう職業。
出典:『goo辞書』https://dictionary.goo.ne.jp/word/
※6 定量的
「数量に関するさま、数値・数量で表せるさま」 ⇔ 定性的「性質に関するさま、数値・数量で表せないさま」
出典:『goo辞書』https://dictionary.goo.ne.jp/word/
※7 ポートフォリオ
ポートフォリオとは、もともとは写真家や画家などが自分の作品をしまいこんでおく「折りカバン」や「紙挟み」のこと。現在の教育では、学ぶ者が学ぶ過程で集めた資料とそれに対する意見や感想、自己評価、教師のコメント、ペーパーテストなど、いろいろな活動成果をファイル化したものを総称していう。
出典:『Handy必携シリーズ①教育用語の基礎知識』時事通信出版局