日本の産業革命
今日は日本の産業革命の流れをまとめた後に, 当時の“教育”や“文化”の変化に触れて, 最後に産業革命の影の部分。社会問題や事件についてみていこうと思います。
時代背景
まず, 大まかな時代背景ですが, 日本の産業革命は欧米とは異なり, だいたい, 日清戦争から日露戦争, すなわち明治時代に起こります。江戸時代の産業革命を経験した欧米よりは, 少し遅いスタートになっています。
軽工業から重工業へ
発展の仕方については欧米と似通ってる部分もあります。 時代は違えど, 手作業→軽工業→重工業という流れは基本的に変わりません。軽工業については, 大久保利通ら新政府が行った殖産興業政策。その一環として, 西洋の最新技術を導入した富岡製糸場が建設され, 軽工業発展に寄与することになります。あとは, 渋沢栄一が設立した大阪紡績会社が機械を使って“24時間操業できる仕組み”をつくってすごい利益をあげたことも有名で, 教科書などではよく記述されています。
一方, 重工業については, 原料を輸入に頼っていた部分もあるので, 軽工業ほど大成功とはいかないです。その中でも, 八幡製鉄所はおさえておきましょう。ここは日清戦争の賠償金で福岡に作られた官営の工場になります。地元の石炭と中国から輸入する鉄鋼石を使って鉄鋼の生産を行っていました。重工業は軍事的にも非常に重要で, 政府も力を入れていました。最終的にはただの船じゃなくて“戦艦”も国内で生産できるようになります。
資本主義国家へ
日本は産業革命を経て,どんどん進化していきます。それは他方で資本主義という経済システムが繫栄してきたことでもあります。工場や機械をもった資本家が新たな労働者を雇って,さらに儲けていく。そういう仕組みが成熟しつつありました。
このような仕組みの中で勝ち続け, 巨大な富・力を獲得していくのが財閥と呼ばれる実業家の人たちです。金融・運搬・貿易と色々な分野で起業し, とんでもない富を手に入れていきます。官営企業(政府が運営していた企業)などを引き受け, 政府とも強く結びつくことによって, 資金力だけでなく政治力も手に入れ, この時代の産業・経済界を引っ張っていく存在になっていきました。この財閥は後にGHQによって解体され, 大きく力を落とすことになります。しかし, 現在でも三井・住友・三菱などのメガバンクは日本TOP企業です。それだけ当時の財閥というのは, とんでもないレベルだったという認識を持ってもらえればと思います。ちなみに三菱財閥の創業者岩崎弥太郎は有名で, 土佐藩出身で坂本龍馬と接点があり, 漫画やドラマによく出てきます。作中では, だいたい貧乏・勤勉・真面目であり, ずっと龍馬に嫉妬し「あいつには勝てんぜよ」みたいに描かれていることが多いです。
教育・文化の発展
この時代は経済だけでなく, 教育・文化にも変化がありました。その1つが“学校教育の普及”になります。江戸時代や幕末では寺子屋・私塾で勉強するのが主流でしたが, 明治政府になって中央集権化を進め, ○○藩士じゃなく“国民”という意識をもってもらおうと考えました。同じ考え方や似た生活習慣を身につけてもらうため, 学校教育に力を入れていくことになります。具体的には国定教科書,今で言う”検定教科書”や標準語が教えられたりと, 全国どこでもだいたい同じ水準の教育を受けられるようになっていきます。日清戦争の賠償金で授業料免除にしたことが大きく, 就学率は一気に90%を超えることになりますが, これは小学校での話となります。中学・高校となると“一部エリートのもの”という感じはまだ残っていました。とは言え, 江戸時代より急速に発展しているのは間違いではなく, 早稲田・慶応・同志社という私立大学ができたのもこの頃になります。
さらに“研究”も盛んに行われていくようになります。特に医学の分野では世界的な評価を受ける人も出てきます。教科書ベースだと黄熱病の研究をして三度のノーベル賞候補になった野口英世。破傷風の治療法を開発した北里柴三郎あたりがよく出てくるかと思います。最後は文化ですが, この頃は, 欧米文化を積極的に取り入れたり, 逆に日本の伝統文化を評価し直そうという動きがありました。色々な文化を組み合わせたり, 改良したりして新しい“作品”や“技法”が次々と生まれてくることになります。図に有名所はまとめていますが, 単に覚えるだけでなく, 実際に作品を観たり・読んだりすることで“知識”として定着することを目指してほしいと思います。
産業革命の影
以上のように, この時代の日本は経済・産業をはじめ, 教育・文化の面でも進化をしてきました。ただ, こういった明るい話がある一方で, 急速な変化によって生じるバグ(歪)も存在していました。さらに今まで見過ごされてきた“課題”が顕在化する, そういった時代でもあります。
例えば労働環境の問題。そもそも資本主義とは, ある意味“競争”です。貿易やグローバルな取引が行われてた当時の競争相手というのは, 先に産業革命を経験している欧米でした。“買う側”としてならわかると思うんですが, iPhoneみたいなブランド品は“別”として, 一般的な商品なら“安くて質の良いもの”を買いたいですよね。ただ, 周りより“安くて質の良いもの”を作るのはすごく難しいです。手っ取り早い方法としては, 働いている人の給料を削って, 働く時間を長くすることによって“商品を安くする”。 これが1番簡単な方法で, 労働者側から見れば,低賃金・長時間労働。今で言う“ブラック企業”みたいなものが溢れかえりました。あとは労働力の確保のため, “児童の工場労働”も問題となっていました。
この時代は貧富の差も拡大していきます。お金を持っている人は新しい工場を作って,さらに人を雇う。“投資”によって, 資産が増えていくんです。一方, 単純労働の人は長時間働いててもギリギリ食べいくお金しかもらえない。すると, どんどん差が開いていき, こういった状況ができあがっていきます。
この時代の劣悪な労働環境をすべての労働者が受け入れていたわけではありませんでした。ただ, 1人で資本家と戦っても「じゃあ辞めろや!」と言われて終わりなので, 労働者は団結して労働組合というものを作ります。そうすると, みんなで交渉できることになるので, 力のある資本家にも圧力をかけられるようになります。組織の中には, デモ・ストライキ・暴動などの労働争議を起こす人達も一定数いました。
ただ, ここについては政府も黙ってなくて治安警察法を作って, 取り締まりを強化しました。この法律によって, この時代の労働運動は一気に沈静化していくことになります。この法律は重要で, 後でみていく社会主義運動とか女性の政治活動とかを取り締まるのにも広く使われることとなりました。
女性の政治活動
当時の日本は, 女性の立場が非常に弱く, 政治・ビジネスなどは「女性は口出しするな!」って言う考え方が広くありました。現在においても東大の男女比率や会社の役員・議員の数等, まだまだ解決していない問題ではあります。ある種の差別に対して啓蒙活動・政治活動を行っていたのが平塚らいてうです。政治的な権利を求めて市川房枝と一緒に作ったのが新婦人協会という団体です。広く一般の人たちに考えを伝える(雑誌とか)そういう啓蒙活動を行ったのが青鞜社という団体になります。彼女たちの主張は, 青鞜社宣言の「元来女性は太陽であった。真正の人であった。今, 女性は月である。」という言葉で概ね理解できると思います。この時代には,女性解放や女性の権利獲得を目指した団体 活動が盛んに行われていました。
公害問題
工場が増えたことによって起こった公害問題が, 大きな課題として挙げられてます。有名なのが足尾鉱毒事件です。工場から出る煙や伐採によって洪水が発生し, その洪水で一気に鉱毒が川に流れて広がっていく。1次産業(農業・漁業)に大きな被害を与えた事件になります。この問題の解決に尽力したのが田中正造で, “日本初の公害反対運動”を指揮しました。足尾銅山の操業停止や被害の救済を訴え, 天皇に直訴までする行動力を見せました。
社会主義運動
最後が, 社会主義運動です。“戦争に反対した者”で日露戦争のときに紹介した幸徳秋水らが日本初の社会主義政党”社会民主党”を作りました。ただ, さきほど触れた治安警察法によって, この政党は2日で禁止されることとなりました。
社会主義運動に対する政府の取り締まりは厳しく, 1910年に天皇の暗殺を計画した容疑で数百人を逮捕して,幸徳秋水ら12人を処刑する大逆事件が起きました。刑事罰の名前が“大逆罪”なので一般にこのように呼ばれています。この事件で逮捕・処刑された人たちのほとんどは事件に”無関係”で, 政府がでっちあげた事件では?と言われています。
次回は, 第二次世界大戦前後ということで, 世界のあちこちに話が飛ぶことになります。ロシア革命を含めた世界の様子を話していきたいと思います。