日露戦争前後の歴史

本日は日露戦争前後の歴史。義和団事件からポーツマス条約までストーリーを話した後に, 戦争の被害や反対意見についてまとめ, 最後に日露戦争後のアジア, 韓国併合辛亥革命についてみていきたいと思います。

中国の外国勢力排斥運動

 

 1899年~1900年にで起こった義和団事件についてみていきましょう。日清戦争で敗北した清は, 欧州列強や戦勝国である日本などのいわゆる帝国主義国から様々な要求をされ, 領土を奪われている状況にありました。そのような中で登場したのが義和団です。義和団はもともと清にあった信仰団体が起源。ある拳法を習得すると, 超人パワーが手に入り“武器も効かなくなる”そういう考えをもった団体となります。この義和団は当初, 信仰団体ということもあり, アンチキリスト(反キリスト教として暴れていました。それが, 徐々に清を助けて西洋を滅ぼすという反帝国主義運動を行うようになります。ただ攘夷志士(日本)と同じように初めは政府公認ではなく, 義和団を支持・利用しようとするグループ, 反対・排除しようとするグループの双方がありました。ただ最終的には清の政府も義和団側に付いて, 帝国主義国に宣戦布告することになります。

  義和団に北京にある大使館を包囲された帝国主義国側も黙ってはいません。8カ国連合をつくって対抗することになります。メンバーとしては, イギリス・フランス・アメリカ・ロシア・ドイツ・イタリア・オーストリア・日本。控え目に言っても世界最強レベルの軍隊・連合となります。“8カ国”って言われる場合にインドは入らないのですが, キャラ設定が難しかったので, オーストリアをインドに変えています。ただ, インドはイギリスの植民地で挙兵はしているので, この描写が全くのフィクションというわけではありません。

日本の活躍とロシアの動向

 話を元に戻すと, 連合の中心はイギリスではなくロシア日本なんですね。理由としては“地理的”な話も大きいんですけど, イギリスは他の戦争で手一杯だった。そういう事情があって, 2国(日本・ロシア)が中心となっていく。結果は大方の予想通り8カ国連合の勝利で終わります。これによって, 清は賠償金を取られることになり, 立場もだんだん悪くなっていく。日本はこの戦いで, 連合全体の2/3ぐらいの兵を派遣し, “極東の憲兵”として欧米列強に認められる活躍をすることになります。

 連合の勝利で終わった義和団事件ですが, 大きな問題が残ります。その中心となるのがロシア義和団事件の際, ロシアは“混乱収拾”という名目で満州全土を占領しました。それ自体は悪いことではないのですが, 義和団事件が終わっても出ていかず, 満州に居座り続けるんですね。これにはさすがに日本・イギリス・アメリカも「それダメだろ!」と抗議するんですけど, なかなか撤退をしません。

日英同盟

 動かないロシアをいよいよイギリスもほっとけなくなったのですが, この当時のイギリスは他の戦争も抱えていて, アジアばかりに力を注ぐ訳にもいきませんでした。その結果, 1匹狼キャラ“栄光ある孤立”というポリシーを捨て, 日本と手を結ぶことにします。これが日英同盟です。さすがのロシアも日英同盟は重く受け止めて, 満州から撤退する方向に舵は切るのですが, どこかで日本を軽視しているところがあって“完全撤退”をしなかった。結局,これにより日露戦争が始まることになります。

日本とロシアの支援体制

 この戦争では表向き, 日本とロシア以外は“中立を宣言する国”が多かったのですが, 戦争にはお金が必要で, その流れを見れば大体どちら側に立っているかが見えてきます。日本側の軍資金は借金(外債)という形でイギリス・アメリカが提供しています。何度か触れていますが, この2国の狙いはロシアのアジア進出をこれ以上進めたくないというのが大きかった。一方で, ロシアも露仏同盟などにより, フランス・ドイツが資金面の支援をしている状況がありました。

日本の快進撃

 このような布陣の中で, 当時は日本の味方であるイギリス・アメリカがロシア有利と感じるほどに, 両国には大きな差がありました。軍事力や資金力, 国としての体力の差が確かに存在していたのですが, 戦いが始まってみると, 日本勝利が続きます。“陸”では奉天会戦という60万人程の大規模な戦に勝利し,  “海”はもっと有名なんですが日本海海戦という東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアが誇るバルチック艦隊を破り, 快勝することになります。

長引いた戦争

 ただ,「連勝してる」と言っても大規模な消耗戦を行ってるので, 両者ボロボロなんですね。ロシアは連敗に続いて, 国内で革命まで起きている状況なので, 正直戦争どころではない。一方の日本も勝ちはしているものの, 体力(お金・人)が足りなくなってきて, 実際はボロボロの状態となります。実際, 戦費や死者を見てもらってもわかるように, 日清戦争とは比較にならないほどの負荷がかかっている。このような状況で, 動いたのがアメリカです。

アメリカの仲介による講和条約の締結

 両国の状況を敏感に察知して仲介を買って出たアメリカの真意(アジアのパワーバランスが崩れることを恐れてか, 清への進出を目論んでいたのか)はわかりませんが, アメリカの都市であるポーツマスに両者を呼び出して講和条約を締結させます。この条約の中身は概ね“日本勝利”の内容となります。例えば韓国(朝鮮)の優越権あとは満州からの撤退。遼東半島の租借権とか沿海州の漁業権樺太の一部まで得る。ただ1点, 賠償金をもらうことができなかったこの点が後に国内の反発を招く原因になり, 重要な部分となります。ちなみにですけど, このスピーディーな仲介を行った大統領がS・ルーズベルト。この功績が認められて, ノーベル平和賞を受賞することになります。

戦争の被害の大きさ

 以上が,日露戦争の流れになるんですが, あと2点ここまでの流れと共に確認しておいてほしい点があります。それが“戦争の被害の大きさ”と“反対派の意見”です。先程も触れましたが, この戦争はこれまでとは比べ物にならないほど大きな損害を出したことでも有名です。死者で言うと約8万人, 戦費も膨れ上がり国家予算数年分といわれる大きな費用が必要でした。

日比谷焼き打ち事件

 これほど身を削った戦争だったからこそ, 連勝して「賠償金を得られるじゃないか!?」と多くの人が期待してたんですね。でも,その期待はポーツマス条約であっけなく裏切られてしまう。当然怒る人もいて, 条約の締結の日に東京の日比谷公園からスタートした暴動はどんどん膨れ上がります。交番や官邸の襲撃, 教会や電車が燃やされるなど無法状態になり, 最終的に政府が戒厳令「軍に任せます」というのを出して, ようやく収まりました。結果として, 死者17人, 負傷者が数百人~数千人の大惨事になります。これが日比谷焼き打ち事件です。

反対派の意見

 もう1点が反対意見について。まず反対意見といっても様々な角度のものが存在するので, 1つ1つ押さえておいてほしいと思います。単に政治的(政策的)な話として日露戦争に反対していた人も政府内にはいました。ロシアと争わず妥協してwin-winの関係でやっていこうと。有名なところで伊藤博文や井上馨。ただ勢力的(政治的)に負けて, 日露戦争が始まることになります。

 

 こういう政治的駆け引きとは別に有名な反対意見として, 社会主義的な観点からこの戦争を批判した幸徳秋水キリスト教徒として“戦争そのもの”に反対した内村鑑三という2人がいます。どちらもざっくりと言ってしまうと“戦争反対”なんですけど, そう主張する“理由”が異なるのでここをしっかり押さえてほしいと思います。幸徳秋水は,「私たち平民は何の責任もないのにその(戦争)の負担を全て負わなければならない」と言ってるんですね。つまり彼にとっての戦争は政治家・資本家の為に行われるもので, ツケはいつも平民が払ってる。そういう“世界観”で反対しているんですね。思想的な部分は置いといて, さっき話した日比谷焼き打ち事件の例を見ると,政府のせいで損してると感じてた人は多いんじゃないかって気はします。

  もう一方の内村鑑三は宗教的な考えからか?“日露戦争”うんぬんではなくて, 武力で解決しようとする“戦争”それ自体に反対してた。極端な例になりますが, 例えば政治家とか資本家数人が平民の負担とか義務もない状態で領土をめぐって殺し合いをする。これを“戦争”だとすると, 幸徳秋水は戦争に反対する理由は無くなるんですよね。一方の内村鑑三はこのルールだったとしても“戦争っていうのはNGになるんですね。主張だけ見たら,そのような違いがある。なので両者の“結論”は似てるんですけど, やっぱり微妙に違うんですね。すごい難しいですけど, そこの“ニュアンス”を押さえた方が良いのかなと思います。

 もう1人テスト常連なのが与謝野晶子ですね。「女性が恋愛感情を表に出すんじゃない!」という時代に, 当時の常識に反し,そういう作品を出し続けるカリスマ・インフルエンサーみたいな存在。作品だと『みだれ髪』が有名で, 他には源氏物語の現代語訳も行っています。日露戦争に行く弟を嘆いた『君死に給うことなかれ』が大きな反響を招き, この歌が日露戦争に反対していると言われていますが, さっきの2人と違って“どうあるべきか”という大きな議論ではなく, 兄弟に死んでほしくない。あくまで個人目線の気持ちを歌にしてる。なので, ”戦争反対と言うよりは, どちらかというと「戦争は嫌いです!」に近い感じがあります。だからこそ?なのか分からないですけど, 一般の人の共感を得られ大きな反響があった。以上のような反対意見が戦前・戦中にあったということは1つ押さえておくポイントかと思います。

朝鮮への圧力

 ここからはアジア(朝鮮・中国)について話していきたいと思います。日露戦争からの流れとしては朝鮮の方がわかりやすいと思うので, 先にそちらから話していこうと思います。ここでは1点注意しないといけないややこしいことがあって, この後の説明で“朝鮮”と“韓国”という2つの言葉を使います。これは間違いじゃなくて, 1897年~1910年の十数年だけ“韓国”と呼ばれる時期があるんです。なので, イメージとしては「朝鮮=韓国」ぐらいに思ってもらって良いんですが, テストで記述となると名称が違っちゃうと「×」になるのでそこは気をつけて欲しいと思います。

 話を戻すと日清戦争・日露戦争に連勝した日本には「自分たちは優秀だ」みたいな考えが芽生え始めるんですね。軍をどんどん強くして, 自身が“帝国主義”として植民地化を進めていく。そういう動きが目立ち始めてくる。その標的となったのが“朝鮮”になります。清・ロシアとの戦争で勝って, どちらにも口出しされないので, 朝鮮への圧力を強めていくことになります。

韓国併合

 まず, 何をしたかというと外交権を奪って“保護国”にするんですね。自分たちが世話している国ですよって。そこで代わりに外交事務とかを行う韓国統監府を置いて, 行政事務を仕切っていく。この統監府の初代代表が伊藤博文になります。その後は, 皇帝を退位させたり軍を解散させたり内政に口出しするようになっていきます。

 そんな中, 伊藤博文が暗殺される事件が起こります。韓国併合の象徴とされることもあるのですが, 実は植民地化に消極的(否定的)であったと言われる彼が暗殺されたから?かどうか分からないですが, 翌年,日本は韓国を併合することになります。韓国も“朝鮮”と名前を改めることになり, 韓国統監府から朝鮮総督府という全く別の名前に変えられるんですね。分かりにくいので, 保護国の間は“統監府”。植民地になったら“総督府”に変わったという理解でいいんじゃないかと思います。

 韓国併合については植民地支配なので, 政治運動を禁止したり, 選挙権を認めなかったり, あとは“日本語”を母国語にしたりと, 権利や自由を制限するものでした。一方で, 朝鮮の近代化が進むきっかけになったという視点も重要ですので, この両面を押さえておいてほしいと思います。

辛亥革命と孫文

 最後は中国(清)で起こった辛亥革命についてみていきましょう。この辛亥革命は一言でいうとが滅びて中国ができた革命です。ただ1点注意が必要で, この中国って今の中華人民共和国ではなく中華民国のことなんですね。つまり現在の台湾ここはちょっとややこしいので一気に理解するのは難しいです。おいおい出てくる第2次世界大戦ぐらいで理解してもらえば良いかと思います。この辛亥革命の中心となったのが孫文ですね。この人は日本に縁があって, 日本に亡命したり, 何度も日本を訪れています。日本人の奥さんがいたりとエピソードには事欠かないんですが, 大枠の話をしていくと日清戦争の敗北・義和団事件の敗北と, このころの“清”はボロボロな状態でした。と同時に, 日本を含む帝国主義国がどんどん押し寄せてくる。そういう流れもあって中国国内でも“清”という王朝を倒して独立した近代国家をつくろう!という雰囲気がありました。

 1911年に武昌現在の武漢で孫文が反乱を起こします。これを見て多くの省が独立を宣言します。そこからスタートして翌年各省の代表が南京に集まって中華民国をつくることになります。国の代表としては孫文が臨時大総統に就任。1点重要なことがあって, 中華民国はアジア初の共和制国家としても有名だということもおさえといてほしいと思います。数ヵ月後には元々清の軍閥(敵側)だった袁世凱という人と手を組んで, 皇帝“溥儀”を退位させる。これにより清王朝が滅亡したことになります。

 ここまでが辛亥革命と呼ばれるものなんですけど, これで「めでたしめでたし」だったかというと, そうでもありません。さっき話した袁世凱という人が曲者で, 実は手を結ぶ際に条件として孫文から臨時大総統の座をもらっているのですが, その約束を反故にして, 首都を(南京から)北京に移して臨時じゃない“大総統”になってしまいます。要するに革命の成果だけ最後に全部もっていく。ここまでなら, 百歩譲って許せたかもしれませんが, 袁世凱は独裁政治を始めるんです。これにはさすがに孫文側も黙ってるはずもなく, 国内はまた混乱状態に陥ります。袁世凱の死後は, 軍閥の地方政権がバラバラにそれぞれの領土を支配する, いわゆる軍閥時代に突入していく。そういうストーリーになります。

  最後にストーリとは別に, 触れておかないといけないことがあるので, そこを話しておきます。孫文が革命の際に主張したものとして民族・民権・民生という, いわゆる三民主義というものがあります。簡単に要約すると“民族”というのは民族主義のことで, もう少しすると結構出てくるワードで, どこからも支配されない独立した国ということ。“民権”というのが民主制のことで, 一般の人たちが政府の権限を管理・監督する仕組み。“民生”というのは, 国民の生活を安定させることを目指し“貧富の差”とか“独占を否定して所有を制限したり再分配することです。ここはすごく難しいので, そういう3つがあって, あわせて三民主義というんだという理解でいいと思います。

  次回は, 日本の産業革命ということで, 経済の発展とか,新しい文化。あとは社会問題といったところの話をしていきたいと思います。

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