日清戦争前後の歴史

本日は日清戦争前後の歴史列強によるアジア侵略から三国干渉, さらに不平等条約撤廃についてのストーリーをまとめていきたいと思います。

ヨーロッパの近代化

 

 日清戦争の話を始める前に, “背景”を少しだけ確認しましょう。この頃のヨーロッパ諸国は産業革命・市民革命という, いわゆる近代化を経て資金力・軍事力も非常にパワーアップしていた点が重要になります。ヨーロッパの近代化というと, 大河ドラマ等でお馴染みの江戸時代に黒船が来て, 着物をきた侍が腰抜かすなんてシーンがイメージしやすいと思います。実際あのシーンの通り, 急速に進化した欧米列強が自国やヨーロッパでくすぶっているはずもありません。本気で世界を獲りに行くため, 有り余ったエネルギーを近代化の波がまだ来ていないアフリカ・アジアに向けていくことになります。

 この近代化の先駆けがイギリス。産業革命と市民革命を経て, 桁違いの力を手に入れていきます。この流れは, フランス革命アメリカ独立戦争などに派生し, ドイツ・ロシアとヨーロッパ全土に広がっていきます。彼らが目指すのは, より良い商品を作るための資源と, その商品を売るための市場の獲得になります。これは, 今の時代も変わらない発想かなと思います。安い材料を海外から輸入し, 良い市場を探して発展途上国で起業する。ただ, 現在との違いは, 資源や市場を得るために武力で弱い国を植民地にして, 自分に都合の良いルールで支配した点にあります。こういった帝国主義と呼ばれるものが, この時代の常識でした。

列強のアジア侵略

 ここからが本題ですが, アジア支配をもくろむヨーロッパ諸国の中で特に重要なのがイギリスロシア。まずイギリスは, インド・オーストラリア・香港と植民地にしていきます。インドについては“東インド会社” “アヘン戦争”“インド大反乱”と知ってる人も多いと思います。オーストラリアは教科書で登場することはないんですけど, 国旗で察してる人が多いですかね。香港は, アヘン戦争で イギリスが得た地域になります。このようにイギリスは徐々にアジアに進出して行きます。東アジアについても, 遠くの国という感覚から徐々に自分事になり, アジアで誰が“力”があるかということも 関心事の1つになっていきます。

 一方, ロシアは“南下政策” 。つまり地図で言うところの下に勢力を拡大していく政策をとっていました。その1番の理由としては “不凍港”の獲得。下に行くと言っても, ロシアは横に長いのでヨーロッパ側(西側)でも良いんです。実際, ロシアの主要都市は西側にあるので, そっちの方が自然な気がする。でも, そこはヨーロッパ。イギリスをはじめ, 近代化した強い国がいて, 簡単にはいかない。なので, 逆サイド(東側) を狙いにくるわけですね。イギリスとロシアという強国2国がアジアへの進出を通じて, にらみ合いをするようになっていきます。これが大まかな時代背景ですね。

甲午農民戦争(東学党の乱) 

 

 アジアを誰が取るかをヨーロッパが牽制し合っている時に, ある事件が朝鮮で起こります。それが東学党の乱 この東学党というのは宗教団体で, 西学(キリスト教)に対抗する団体を指します。この宗教を信仰する農民が中心となった反乱が甲午農民戦争。政府に対する民衆の反発が強まった時期に外国人追放を叫ぶという流れは, 幕末の日本に少し近いものがあります。皮肉にも今回の日本は日朝修好条規を結んでいたため, 立場としては出て行って欲しい側(外国人側)ですが。

 この反乱で朝鮮政府は初め, 清に助けを求めるんですけど, 日本と清の間で 「朝鮮に出兵する場合は, 事前に通知し合おうね(抜け駆けすんなよ!)」 と決めてたんで , 日本もすぐに挙兵して朝鮮に向かうことになります。この頃の朝鮮は, 日本と清が狙っていた場所なので, この反乱を抑えることを口実に挙兵した日本と中国(清)の争いが 一気に深刻化していくことになります。もちろん両国とも 「朝鮮政府を助けたい」よりも 「朝鮮を支配したい」という下心が強かったので, 反乱を抑えた後も朝鮮内に居座るんですね。それがきっかけで日清戦争に突入していくことになります。

日清戦争の概要

 日清戦争については教科書に載ってるビゴーの風刺画が有名なので, これを使って説明していこうと思います。残念ながら, このお魚が朝鮮になります。日本と清(中国)は 誰が見ても分かりますよね。ただ少しわかりづらいのが, 一段上から見ている西洋人ですが, これはロシアです。 南下政策を掲げているロシアからすると, 日本も清も標的なので,  離れた場所(一段上)から黙って見てる構図になっています。

 日清戦争では, 日本・清ともに“近代兵器”を使っての戦いとなるのですが, この戦争では日本が勝利します。当時の世界において“眠れる獅子”とヨーロッパにも恐れられていた清が敗れる, これは大きな番狂わせでした。しかも最近まで, ちょんまげ・刀だった集団に負けたので, かなりの衝撃ニュースだったと思います。

講和条約の締結

 戦争の終わりには講和条約を結ぶことになります。負けた国が何を払って, 勝った国が何をもらうか決める条約ですね。今回は日本が勝ったので明治政府の「地元」長州藩で条約を結ぶことになります。下関条約の中身の話をすると, まず, 2億テールの賠償金ですが, 「とにかくすごい額なんだ」って理解で良いと思います。さらに不平等条約も結びますが, これも流れとしては“あるある”です。

 重要になるのは“領土関係”。朝鮮を独立国と認める。要するに「朝鮮に口出しすんなよ!」ということです。 さらに, 遼東半島台湾をゆずる。この2点は, 今後の歴史の流れでも重要になってくる部分なので, しっかりと押さえてほしいと思います。このように, 日本は下関条約によって朝鮮半島+中国(清)の一部まで支配することになります。しかし, これで「めでたし, めでたし」ではありませんでした。

ロシアからの圧力

 この展開が「面白くない」と感じる国もありました。それがロシアです。ロシアも戦争なので, どちらかが勝つとは予想してたでしょうが, 日本が中国の領土まで手に入れて, ここまで出てくるとは予想してなかったかもしれません。そこでロシアは, 露仏同盟を結んでいる経緯からフランス, また説得したドイツも味方にして, 日本に圧力をかけてきます。これが三国干渉。具体的には下関条約で日本が得た遼東半島「清に返せ」と要求してくることになります。残念ながら日本は従うしかない。ロシアだけでも強敵なのに, フランス・ドイツもいる。こんな強国たちに圧力をかけられたら, 世界の中では新人の日本は「Yes」としか答えられません。

 もちろん日本国内での反発はありました。関係ない国(ロシア)が, 最後に出てきて 「条約の中身を変えろ」というのだから, 当然怒る人はいます。“臥薪嘗胆(がしんしょうたん)”という「将来の目的のために今は耐える」という言葉が流行ったほど,  一般の国民の間でもロシアへの不満が溜まっていくことになりました。

清の分割

 その後の展開は, 背景から考えると予想通りのものとなっていきます。どういう事かというと, ヨーロッパの国々は清が「かわいそう」だから三国干渉を日本に仕掛けてきたわけではありません。元々, アジア進出を狙っていたので, 日本を追い出して清を分割することになっていくんです。実際, 下関条約で多額の賠償金を請求された清に対し, お金を貸す代わりに言う事聞いてよと各国が近づいてくる。“租借地”とか, “権益”という言葉は, 何十年もその領土を“完全支配できる”っていう意味で強烈な内容となっています。

 具体的な場所で言うと, ロシアは地図で見たロシア側。つまり, 清の北側に進出して行く。ロシア目線で見ると南下政策ですね。当然, この中に遼東半島も入ってるわけです。フランスは南側です。当時, 植民地だったベトナムに近い 広州湾を手に入れていく。続いて, ドイツが山東省ですね。他の国に比べると面積も狭い気するんですけど, この後の歴史の流れでは重要な拠点になるので, しっかり把握しててほしいかなと思います。最後はイギリスなんですけど, 正直, イギリスは「清に絶対進出するぞ!」って ノリノリだったわけではないんです。どちらかというと, ロシアがどんどん下に迫ってくるので「これはマズいぞ」っていう牽制の為みたいな所もあって, 清の中央(場所としては上海あたり)に進出する。ロシアを威嚇できるような場所を支配していきます。不幸な話なんですが, これが日清戦争“後”の清の流れになります。

不平等条約の撤廃に向けて

 もう1点, 今回取り上げているテーマとしては “不平等条約”です。江戸時代に結んだ不平等条約“日米修好通商条約” を皮切りに, 多くの国と不平等条約を結ぶことになった日本。この不平等条約を何とかしようというのが, 当時の日本の重要案件の1つでした。この不平等条約における大きなキーワードが, 領事裁判権と関税自主権。 “領事裁判権を認める”というのは, たまに「治外法権」と言われたりするのですが, 少しニュアンスは違います。噛み砕いて言うと, 日本で外国の人が捕まっても裁判をその人の国でやる。つまり, 日本では裁けないということですね。もう一方の“関税自主権がない”というのは, 輸入品の税金が自国で決められない。要するに, 貿易ですごい不利になるということです。どちらもフェア・公平じゃないという意味で 「不平等」と言われている。ただ1点, この時代の世界の常識で言えば, 強い国が弱い国と不平等条約を結ぶことはおかしな話ではなかったことには注意してほしいと思います。

 このように, 江戸時代に結んでしまった不平等条約を撤廃・修正することが 明治政府にとって重要なテーマでした。なぜ撤廃したいのか?については, もちろん「不平等だから困る」 というのが, 中心的な理由ではあるんです。ただ, 一方で江戸時代まで“しょぼい国”だった日本も近代化して, すごい国になったんだ! と証明したい。不平等条約を撤廃できれば, 世界に認められたことになるので, そういう気持ちも強かったのかなと思います。

様々なアプローチ

 条約撤廃に向けて色々試してはみたものの, なかなか上手くいかないんですね… 明治政府の中心メンバーで行った岩倉使節団。木戸・大久保っていう薩長のトップや公家の岩倉具視, 初代内閣総理大臣になる伊藤博文とそうそうたるメンバーでしたが, 何も変わらなかった。それだけ当時の日本と欧米列強には, 大きな差がありました。

 あと, 有名なのが井上馨が行った欧化政策。文字通り, ヨーロッパの真似をして認めてもらおうという政策。鹿鳴館という立派な洋館を建てて舞踏会まで開いたのに, 日清戦争の風刺画を描いてたビゴーに猿マネと皮肉られるんですね。この結果に, 国内では「税金使ってヨーロッパの真似するんか!」と批判を浴びることになり,  結局上手くいくことはありませんでした。

ノルマントン号事件

 このような中, 流れを変える事件が起こります。それがイギリス船“ノルマントン号”の沈没。この船が沈没した際に, イギリス人やドイツ人の乗組員はボートで脱出した一方で, 乗っていた日本人乗客は沈没した船に取り残されてしまいました。要するに“見殺し”にされてしまう事件が起きたんですね。これだけなら, 不幸な事件だなで終わる可能性もありました。ただし,  “領事裁判権”を認めている日本は裁判できず, 船長を含めて日本人を見捨てた乗組員は, 無罪が軽い罪で済んでしまうことになります。さすがに「不平等条約マズいなぁ」って, 多くの国民は気づき始めるんですね。要は, 外国人が犯罪をしているのに「無罪になるらしいで!」「ヤバいな!」ってなるわけです。不平等条約撤廃しよう!という雰囲気が国内でも出来上がっていく。

 同時期に, 伊藤博文がドイツ憲法を勉強して草案を作った大日本帝国憲法ができるんですね。これも非常に重要で, 欧州の感覚では“憲法のない国”って正直, 野蛮な国なんですよね。その意味で日本にとっては, 条約撤廃に向けたチャンスが訪れるわけです。

領事裁判権の撤廃

このような流れで登場したのが, カミソリ大臣“陸奥宗光”という人です。由来はそのままなんですけど, 頭が“きれっきれっ”で超頭いいんですね。あと, 格好良いエピソードで言うと, 自分が認めていない上司にバーンっと辞表を出したりしたということで“取り扱い注意”という意味でも「カミソリ大臣」と言われたとのことです。とにかく, この人は面白い経歴で, 勝海舟の海軍操練所で坂本龍馬に出会い, その後は龍馬が作った海援隊に入るんです。そこで, 龍馬のNo.2として「刀を差さなくても食っていけるのは俺と陸奥だけ」と, 龍馬が言ったほどの切れ者として歩んでいくわけです。実際, 龍馬が暗殺された際も, 犯人の可能性がある人物を襲撃したり, 行動も“切れてる”んですね。

 この陸奥の方向性は大まかに言うと“イギリスに集中する” 。イギリス以外とも不平等条約を結んではいるのですが, 世界トップのイギリスを落とすことができたら, ほかの国も後から認めてくるのではないか?そういう戦略で交渉を始めます。先程も出てきたロシアの南下政策をイギリスも気にしているわけです。アジアに進出したイギリスにとってロシアが下に来ることは不利益を被ることになる。そこで「手助けできますよ!」と情勢を見極めた説得を行うことで, 領事裁判権の撤廃を実現します。

 先程も触れましたが, 憲法はじめ法制度が整っていたというのも, 領事裁判権の撤廃に重要なことでした。逆の立場で考えると分かると思うんですけど, 海外旅行に行った時に, 犯罪に巻き込まれたとします。相手の国の法律がちゃんとしたもので無かったとしても, 相手国で裁判を受けないといけないとなると, 最悪ですよね!欧米諸国から見た“日本”って まだ, そういう段階だったので, 「ちゃんとした法律(憲法)もあるんです」ということなら, 領事裁判権を撤廃しても(そっちの国で裁いても)いいかなという話になっていったのだと思います。

不平等条約の撤廃を実現

 もう1人忘れてはいけないのが, 小村寿太郎です。不平等条約のテーマで合わせて出てくるので, 陸奥宗光と間違えられることが多いのですが, 実際には顔もキャラもあんまり似てないです。この時代にハーバード卒なので, 引くぐらい優秀だったのは間違いないですね。 一方, 父親の借金を背負ってかなりの貧乏暮らしをしていたということで, 親近感のある人でもあります。この人は, 日英同盟とかポーツマス条約っていう, 次回話す“日露戦争”において, 交渉のトップ・フロントを務めた人なので, 関税自主権の完全回復以外にも功績を多くあげていて, 今後の歴史にも深く関わってる人になります。あまり教科書で触れられてないと思いますが,  是非一度調べてみてほしいかなと思います。

 以上のように, 2人の功績によって 明治政府の大きなテーマの1つであった “不平等条約の撤廃”が実現することになります。

 今日は, この辺で終わっておきたいと思います。次回は日露戦争前後の話をしていきます。

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